またまた藤原ワールド炸裂です。

日本人の矜持  藤原正彦

今度は著名人9人引っさげて対談形式です。だいたい言ってることはいつもと同じなのですが、対談形式なので藤原理論を他人がどのように感じているか分かる内容となってます。

だいたいいつも大胆な発言が多いのですが今度の帯のタイトルが「読書せぬものは人にあらず、ケダモノなり」だって。
そこまで言うかって感じですが。まあまあこれも日本をよくしようという強い願望の表れでもあります。
たけしとの対談は終始、数学の話でしたがたけしの日本展望論をぜひ聞きたかったです。

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先日J・D・サリンジャー死去

小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られる米作家J・D・サリンジャー氏が1月27日、自宅で老衰のため死去しました。91歳だったようです。ご冥福をお祈りいたします。

ブログのコメントライ麦畑でつかまえてをおすすめした直後のことだったのでびっくりしました。何か感じるものがあったのかもしれません。

そこでおすすめの一冊ですが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」村上春樹訳 です。ほとんどの人が「ライ麦畑でつかまえて」野崎訳を読んできたこととおもますが、今、野崎訳を見直してみてやはり文体が古いんですよね。この小説の特徴として一人称による語りかけ形式になっていてかつ攻撃的な言葉いわゆる俗語が多くそれが野崎訳では少し違和感を感じます。具体的には「~やがんだよ」「奴(やっこ)さん」「イカシタ子」などです。よく古いアメリカ映画やドラマでよくそういうふうな感じで吹き替えを聞いたことがあるかとおもいます。しかし昔でも現実にそんな言葉を発した友達は一人もいませんでした。未だかつてやっこさんとか言ってる人は一人も巡り会いませんでした。村上訳の方が現代的で違和感なくすーっと入ってきます。これから読む人は村上訳がおすすめです。ニュアンスも主人公のホールデンの心情がより鮮明に映し出されていると思います。

さてこの小説はあまりにも有名で世界でもっとも読まれてるなかの一つであると同時にいろんな面でいわくつきの小説です。絶対学校の教科書には載らないだろうと思う小説でもあります。しかし昔は若者のバイブルみたいな風潮があったようにおぼえます。すこし過激な表現だけに中学生ではちょっと早すぎる。高校生で読む人がけっこういるみたいですけど今の高校生で本当に真意を読み取れるかどうか疑問です。主人公は高校生なので同世代の高校生は共感するものがあるかと思います。しかしそれが主人公の悪態や狂言に同調するだけで終わってしまうような気がします。ましてや舞台はアメリカで日本の高校生とはちょっと違う。やってることがおませですよね。小説の中にあるように高校生が車を乗り回して女の子とデートするような日本の高校生はいないでしょうし。わたしは大人の社会を垣間見るようになる大学生で読むのが一番最適かとおもいまね。

とにかくこの小説は奥が深い。
この小説に対する感想意見は様々あるでしょうが私のとらえ方はこうです。
まず若者の心の描写が見事に描き出されています。反抗的な社会より内面の心の心情を深く味わって欲しいです。横暴を繰り返す主人公が狂人なのかそれとも社会が狂ってるのか。特に表現が過激だけに順風満帆に育った人、ボンボンに育てられた人、もてもての人生を歩んできたおぼっちゃまにはそれこそ耐え難い、吐き気をもよおす書物なのかもしれません。ではそういう優等生が いわゆるオチこぼれの子、いじめのあった子、ニートになってる子、不良をやってる子の心理が理解できるのか!っていうことです。
わたしは世の中は建前の世界(虚像)と本音の世界(真実)が存在すると思います。
そして主人公であるホールデンはこの大人の嘘ぶいた建前の世界を理解できないし非常に嫌悪感を持ってます。これを特に助長するものが弟の死だったり、同僚の自殺だったりするわけです。小説ではこのあたりはさらっと流してますがホールデンの言動の源がここにありっと感じます。そして中盤まで最愛の妹のフィービーのことがさらっさらっと出てきたので少し気になりつつ読み進めると最後はやはり・・・・
あまり詳しくいうとネタバレになって読んでない人が迷惑を被るどころか出版社から著作権侵害とクレームがきてもいけないのでこのあたりでおわりです。

それからもう一冊ご紹介。これはキャッチャーを読んだ人のための本です。キャッチャーをより深く味わいたい人、いや村上春樹ファンの人でも結構です。村上春樹はいまや時の人ですからね。その人が自分の考えを述べるのはそうそうないですよ。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

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漢検受けてきました。

先日漢検受けてきました。生まれて初めて受けました。子供と。しかも10級です。(◎´∀`)ノ
漢検の存在自体は昔から知っていましたが、昔はこんなもの受けてどうするの。とか何に役に立つのとか思ってて全然眼中になかったのですが、最近だんだん興味を示すようになりました。まあ最近TV等で露出が多いのですがそれはそれとして受け止めていればいいと思います。最近字を書くということが極めて少なくなりました。全てパソコンで処理するのでとても軽快なんですね。そう、文章を作るのに全然頭を使ってないのです。勝手に手が動いてくれて漢字変換も自動で行ってくれてそれで筆記よりきれいな字が書けてスピードが断然速い。利便性において劣るものは一切ありません。
しかしこういう生活をしていると字が書けなくなります。本当に。とくに簡単な漢字も書けなくなるのです。私がそうですから。日常生活ではそうそう困りませんがいざとなると手が止まってしまい非常に困るときがあります。字は読めるけど書けない。これではいけないいけないと思いつつ何年も生活をしてきてやっとアクションを起こすことに決めました。だいたい書く練習なんてこの忙しい日常生活に中に組み込むこと自体が困難でした。それでこの漢検を受けることできっかけにしたいと思いました。4級か5級ぐらいからはじめてもいいかと思いましたが100点とる自信がなかったのでどうせならと10級から始めよう!と。100点とれなかったら相当ショックを受けそうだったので10級から受けて自信をつけてからにしよう。

で、漢検受けてきました。感想は 楽しかった!  です。
この久々味わう緊張感。わくわく感に圧倒され、自分の周りは腰の高さしかない子供らに混じって受けてる自分の恥ずかしさなど片隅もありません。自分はかなり緊張してましたがまわりの子供らはぜんぜんそういう感じはなく余裕しゃくしゃくでした。そうとう勉強してきたんでしょう。負けてたまるか!とライバル意識を向きだしになってる自分に大人げないと自分によ~く言い聞かせました。(*´v゚*)ゞ
はじまってみるとだいたいはすらすらと行きましたがやっぱり書き順のところで一カ所非常に考えてしまいました。右と左の書き順が違うことだけ確認しとけば大丈夫と容易に考えてましたがあまりにも浅はかでしたね。余裕で100点を取るつもりが一抹の不安を抱えながら終わりましたが時間は40分。見直しも含めて15分ほどで終わったので残り時間まで相当退屈でした。

まわりの子供もみてみると20分程でもう終わったようでときどき後ろのほうを振り向いて(待機してるママに向かって)余裕の笑顔を降り注いでいました。ときどき後ろの方から「見直しをしなさい」というような小さい声がしてきては何度も何度も見直しをしてました。
がその時、答案を裏返すときにとなりの子の答えが見えてしました。

あっ!間違ってる!  せん手(選手)の読みが ”しゅう”になってる。

この子は何度も何度も見直しをしてたのにもかかわらずその間違いに気づかずにいました。裏腹に100点自信まんまんの態度に思わず笑みがこぼれてしまいました。大変失礼ですが。ちょっと教えてあげたい衝動もかられましたがここは厳正や試験会場。がまんがまん。何度も見直しても自分の間違いに気づかないということはよくあるケースです。思い込んでしまうんですね。

この子は後日、間違いに気づくことでしょう。それでこの間違いを深く反省してよく考え直すか、なんだちょっと間違っただけか100点中1点か、たいしたことないやって感じで軽くながしてしまうかでこの子の人生は大きく変わっていくでしょう。がんばれ、社会は厳しいぞ!

しかし笑ってはいられない。自分の答案をもう一度見直したことは言うまでもありません。

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経済って不思議?4

んでもって本の紹介です。経済のことを基礎の基礎からお勉強したい方にぜひこの二冊をご紹介します。中学生の教科書読むより全然おもしろいですよ。
ひとつはもう10年以上前の本ですが(私は発刊の時に買って読みましたがまた再読してます)
「経済ってそういうことだったのか会議」 佐藤雅彦と竹中平蔵の会話形式です。この会話形式がまたとってもわかりやすいんですよね。


そしてもう一冊。これは最近の新書です。
「日銀を知れば経済がわかる」 池上彰  です。
この池上さん、最高!あのNHKのこどもニュースに出てる人。いまもやってるのかな?子供に見せるふりをして実は自分が一生懸命見てました┐(´д`)┌ヤレヤレ
もうこの人の説明でわからなかったら退場です。(どこに退場するのやら)
とくにこの本を読んで衝撃的だったのが公定歩合の話。そういえば最近、ニュース番組で公定歩合を何%下げますとか聞かないなと思ってました。いやいや私が中学生の時に習ったときは公定歩合で金利操作をやるって教わりました。それが今では・・・・・。


ほんで経済のお話はとりあえずおわり。


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経済って不思議?3

昨今、最大の権力者は誰だかわかりますか?総理大臣でもないし、幹事長でもありません。マスコミを引っさげた国民そのものです。そして国民が発する声が世論という風になります。国民主権らしく極めて民主的な国家です。そして世論は正しいというのが前提になっているのです。その強権をもつ国民の前では国会議員なんて赤子をひねるようなものです。当たり前ですが国民が議員を選出してるんですから。だから国会議員の選挙はいいことを言う人しか当選しません。これも当たり前です。「増税をします!」「医療費負担を上げます!」とかいったらまず当選しません。国民にいいような「補助金をあげます」「道路をつくります」「議員を減らします」「官僚の給与を減らします」「天下りはゆるしません」など言わないと当選しないのです。それで結局当選したところで財源がないので国債を発行せざるを得ないのです。当選した後に増税とかいうとたちまち次回の選挙にでれないどころか与党が野党に入れ替わったりします。

そういうわけで国債を発行することで国会議員も無事生活ができるし、国民も納得してくれる。双方が共存できる憩いも場なわけです。日本だけでなくだいたいの先進国は財政赤字ではないでしょうか。

特にプライマリーバランスの崩れてる日本はとっても深刻ではないでしょうか。しかしこの深刻な状況を認知できてる人は有識者か学者だけでなく、本当は国会議員の人も全員分かってるだろうとおもいます。しかし議員の人は手も足も出ません。
ちなみにプライマリーバランスが崩れてると言うことはどういう事かというと、例えば借金をしますよね。そうすると普通は元金と利息を少しずつ払っていくと思います。でも生活が苦しくなったのでとりあえず元金はそのままでその利子分だけでも払います。これがバランスシートの分岐点です。利子分だけでも返済すれば何とかなるわけです。収入が上がったときだけすこしづつ元本も返済していけば確実に完済します。(利子分余計に払うことになりますが)ところがその利子分さえ払えない状況だとやばいわけです。さらに足りない分を別なサラ金から借りないといけない。そうなると行き着くところはわかりますね。それを雪だるま方式とか破綻とかいいます。

だからとっても不思議なのです。国の財政がこのような状態においてでも平常に生活している。いったい国債残高がどれくらいになったらやばいのか。ひょっとして無限にこの状態でいけばなんとかなるのか。別に国民の命をとられるわけではないのでこのまま無限の「うちでのこづつみ」を振る舞っていけばなんとかなるのかなと思ってしまいます。なんでこんだけ現金をばらまいてインフレがおこらないんだろう?
国って破綻しないのかな?いやいや最近、北海道のある自治体が破綻したって言うし。大阪市はなにやら若い弁護士さんが「大阪市はとっくに破綻してます」っていってるわりには破綻してないし。他の自治体もよく「破綻状態です」といってもなんとかやりくししてるし。

あーあこの小学生みたいな疑問を解消するべく次のスレッドでは本の紹介です。

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経済って不思議?2

なぜそういう状況になっていくのか。理由は二つあると思います。極めて根本的なそして本質的な問題です。
まず

①人間は限りない「欲」というものを持っていること

上限がないんですね。例えば生活水準に関して言えば、10年20年単位で考えると確実に過去より向上してますよね。しかしそれでも全然物足りない。もっともっと便利になりたい。もっとおいしいものを食べたい。もっと丈夫で耐震性のある家に住みたい、もっと大きな画面のTVをみたい、もっと高画質な映像を見たい、燃費のいい車に乗りたい、高速道路をもっとつくって地域を活性化したい、もっと飛行場をつくって早く目的地につきたい、もっとダムをつくって洪水に備えたり水不足に備えたい、もっとおもしろいゲームをしたいなどきりがないですね。相対的に地球規模で日本の生活水準をみてみるとこれはあきらかに先進国で極めて裕福な国です。満足に家もない、仕事もない、食べ物もない国があるくらいですから。しかしほとんどの人がこれでも満足してない。こういうあくなき欲望が科学技術の進歩、経済の発展の原動力になってるのには間違いないでしょう。

しかしこれらの欲望は「ぜいたく」だからやめなさいといわれればやめられるかもしれません。ところが次にあげる人の健康や医療にかんしてはどうでしょう。

医学も極めて進歩してきました。例えば抗生物質の発見により人の寿命が飛躍的にあがりました。盲腸=死とか肺炎=死 っていう図式だったころなんてさほど昔ではありません。癌=死、AIDS=死って図式も近い将来無くなるかもしれません。命の尊厳を追求する、もっと長生きしたい、不慮の事故や病気を克服したい。これは万人が願う欲望です。そのためにはもっと早く病気を発見できる高性能な機器がほしいとか、副作用の少ない病気に効く薬がほしい、失った臓器を再生してほしいなど。きりがありません。これも先ほどと同じように国の平均レベルでは極めて健康で長寿の国なのですが、満足してる人は誰一人いないでしょう。あたりまえです。

そしてこれらの欲望を解消するには莫大な研究費や治療をおこなう医療費が必要です。

では例えば今年は景気が悪かったから、税収が少なかったので研究費や医療費はこれでかんべんして、てな具合にはいかないでしょう。交通事故で瀕死の状態で救急車で運ばれてきて「すみません。今年は予算がないので誰も診る先生がいません」とか、癌の治療している患者に「すみません。今年は開発費の予算が無くて新薬がつくれないので古い副作用のある薬で勘弁して」なんていえるわけがありません。これらの欲望をストップするものは誰一人いません。人の健康の向上に異論を唱える人は誰一人いないわけです。

つまり根本的に大量のお金が必要ということです。景気の良し悪しにかかわらず。
つまり国債を買ってお金をつくっていくことが必需ということです。
つまり、(すみません、つまりつまりばっかり並び立てて。文章の組み立てが下手なもので)でもめげずに 
つまり、国債を償還するためには経済を発展し続けないといけないしくみになっているのです。

それではもう一つの理由は次回ということで。おやすみなさい。


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経済って不思議?

しかし世の中って不思議なことが多すぎて困ってしまいます。まあ頭の悪い自分がいけないのですが、勉強しても勉強してもそれが解消されないどころかすればするほど不思議なことが増えてしまし、迷宮入りです。いくらインターネットが発達しようが大して解消されません。小学生は幸せものですね。だって分からないことがあれば何でも身近な先生や親に聞けば答えてくれるでしょう。分からないことを人に聞いて明確に教えてもらうって超快感ですよね。大人がこの環境を欲しければ大量のお金が必要なんでしょうね(。>0<。)

そこでひとつの難題を。下の図を見てください。見たことがあると思いますが国債残高の推移です。このグラフを見ていつも思うのですが平常心でいられないのです。だいたいこんな状態がつづいて正常な生活を営めてるのが不思議です。国債は借金ですよね。その利子も増え続けさらにその利子を払うために赤字国債まで発行する。
これは個人レベルで例えると、月20万の収入のサラリーマンがサラ金に毎月5万借りて25万の生活をしているということですよね。そのうち借金と利子が膨れて破綻するのは素人でもわかりますよね。国に話をもどすと、本来なら税収の範囲で生活しないといけないのですが税収以上の生活をしているということですよね。まあ借り手は圧倒的な信用のある国ですし貸し出しては銀行で資金が相当あるし最終的にいくらでも紙幣を発行できる日銀が買い取ってるので上限がないですわな。だいたい見識者や専門家たちはそれがいけないことはわかってるし政治家も本当はいけないことは分かってるだろうと思うのです。

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わかっているのにそれができない。しかも現在平気で生活している。では国債残高がいくらになったらいけないんでしょうね。これからも右肩上がりに増え続けるでしょうけど現在のレベルはまだ平気ってことでしょうね。
中学生ぐらいの経済の勉強してればこのままつづけば金利の上昇と円の暴落、ハイパーインフレに至って国が壊滅するってのはわかるんですけど、まだまだ大丈夫。ノープロブレム!

なんか個人が雪だるま式に借金が増えてしかもそれに気づかず自転車操業しているひとににているような気がしますが・・・。

次回はその犯人捜しの探求です。

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山田洋次監督作品 ”おとうと”公開日観てきました

久々に映画を見てきました。前から気になっていた 山田洋次監督作品 ”おとうと”です。10年ぶり現代劇、しかも主演女優が吉永小百合とあって公開日はかなり多いかなと思いきや、やっぱり映画館会場はばらばらでした。やっぱりというのはここ10年来映画館に足を運んで映画を見る人が確実に少なくなってきていますね。原因は生活様式の変化です。新作こそはみれませんがちょっと日にちを我慢すれば家で映画が簡単に見れるようになったからだと思います。TVでもオンデマンドで好きな映画もみれますし、インターネットでも映画が見れます。レンタルDVDも比較的公開から早く出るようになったし、ディスプレイの拡大化にともない、家でも躍動感あふれる映画が楽しめます。しかしどんなにTVが大きくなったからといってブルーレイができたからといって映画館にかなうわけがありません。
よってここぞというものは映画館に足を運びます。

公開まじかで大変もうしわけありませんが ”おとうと”に関して酷評をしたいとおもいます。 

①現代版新「寅さん」を創り出そうとしているのか

この「おとうと」は名作「男はつらいよ」をかなり意識して創られてます。映画にも寅さんの社会情勢がすこしでてきますし、脚本の設定が寅さんが賢明な妹と愚かな兄、そしてこの「おとうと」は賢明な姉と愚かな弟という設定。しかも助演は寅さんファミリーが出演してます。
つまり始終、寅さんがオーバーラップします。主演男優の笑福亭鶴瓶が渥美清、主演女優の吉永小百合が倍賞千恵子です。これにどうしても違和感が生じます。それがあまりにも寅さんが偉大すぎてどうしても比較してしまう。特に鶴瓶さんは本役者じゃないので渥美清の重圧があまりにもかぶさって重荷になりすぎているかと思います。たぶんこの映画を観ている人は寅さんを観てきてる山田洋次監督ファンの人がほとんどでありましょうから鶴瓶さんではすこし役不足といわれてもいたしかたがないのかもしれません。
っていうか山田洋次映画で渥美清以上の役ができる人はいないと断言できます。渥美清と倍賞千恵子の最強コンビが日本人の心の中に染みついてる中でこれ以上のまたはこれに変わるコンビは考えられないと言うかありえない。それほどまでイメージが固定しているので新しい寅さんを創るには多大な時間と労力を要すことでしょう。

②主演のターゲットが分散されすぎている

この映画のタイトルは「おとうと」ですけど主役が弟役の鶴瓶さんだとは思うんですけど、姉役の吉永小百合や一人娘役の蒼井優にも焦点がいきずぎて全体がぼやけてしまってます。主役が多すぎたりすると全体のインパクトに欠けます。主役のおとうとの鉄郎さんの悪態が少なすぎてあまり感情移入ができなくて感動がうすかったです。
涙の量がすくなかったということです。これは私だけでなく映画館会場の雰囲気からも他の人の様子もうかがえます。あきらかに最近の映画「武士の一分」の涙量とは桁違いに違います。まあ単純に涙量がいい映画とはいいませんが主題であると思われる「家族の絆」を描いている映画としてはいいかと思います。

③最後は好評ですが みどりのいえはすばらしい。

この映画の中でみどりのいえという民間のホスピスがでてくるのですがこれがすばらしいですね。これは実際、東京のきぼうのいえというホスピスをモデルにしてるらしいのです。こんなものが今の日本にもあるんですね。家族の絆を大事にすると同時に他人の絆も大事にする。最後は家族と同等に死期をみとってやる場面は見物です。

寅さんもそうですが強い家族の絆と同時に今は失われた他人との絆を詳細に描く 山田洋次監督はやはり日本一の天才監督だとおもっております。
またいずれ時間のあるときに寅さん評論でもいたしましょう。

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やっぱりステーキだけは安かろうまずかろうか?

あるお店でステーキフェアをやってたので入り注文しました。超激安です。もともとお肉が好きな方でステーキなど普通は高いのでそうそう食べれないのですがそういう安いステーキがあるとついつい注文してしまいます。そしていつも後悔してしまいます。そうです。まずいのです。薄い肉なら味付けでどうにでもごまかしがききます。またドリアとかパスタとかカレーなどよくあるメニューとかもどこのお店も大して変わらず、味付けによってどうにでもなり、まずくって食べられないっていうことは滅多にありませんが、ステーキだけはもろに素材の味がダイレクトに伝わるのでいかに濃いソースをたっぷりかけてもごまかしきれません。

だいたいそういうことは注文する前からうすうす気づいているのですが、もしかして安くておいしいステーキがあるかもしれないとはかない望みをかけて注文してしまいます。なんと悲しい性(さが)でしょう。
そして ぜったいおいしいと確信させるようなメニューの写真にだまされ(別にだましてはないとおもいますけど)私のこころが揺れ動かされます。

これだけ経験して確信してもこれからもたぶん、注文し続けると思います(T_T)


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大分県歯科医師会創立100周年記念式典・祝賀会

1月30日土曜日昼から東洋ホテルに大分県歯科医師会創立100周年記念式典・祝賀会に出席いたしました。大分県下の歯科医師会に加入している歯医者さんが集まります。
毎年記念式典は開催しているのですが今年は100周年と言うことで盛大に行われました。

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ってなぐあいに「今日はどっかいったよう」とか「今日はこんなおいしいお店をみつけたよう」などよくある一般的なブログ内容もときどきは掲載しようと思います。さすがに現場から携帯で送信するのは非常におっくう(携帯で文字を打つのはいらいらしてだいっきらい)なので帰ってから送信です。
ついでにカテゴリーも新規、”一般的なブログ風”を立てました。


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究極の情報整理2(ソフトウエア編)

①ATOKを使う  http://www.atok.com/
N8_atok_wmpkg

さて日本語入力システムはATOKエートックかIMEかってことです。究極の選択でしょう。だいたい一般的な人はほとんどIMEを使います。なぜか?理由は明確で予めOSに標準装備されていてタダで使えるからです。会社関係で使うときなんかはPCが複数あるのでどうしても汎用性のあるIMEを使わざるを得ません。しかも普通に使う分にはATOKもIMEもたいして変わりません。たいして変わらないのならいちいちお金だしてまでATOKを買わなくてもいいんでは?と言うことですが使えば使うほどATOKの変換効率の優位性が目立ってきます。

話はまた大昔になりますがATOKは老舗でブランド中のブランドでした。(一太郎とともに) 初期の頃のIMEはATOKに比べて足下にも及ばぬ粗悪品でした。圧倒的な技術格差を生じてるにもかかわらず売れ続ける。
当たり前です。OSに無料ハンドルされてるんだから。つまりIMEはマイクロソフト社の圧倒的独占的優位性にて発展してきたと言えるのです。
会社はコスト最優先だから使うわな~IME  そういう自分も使ってます(。>0<。) ぼんぼん育ちのIMEも財力にものを言わせてすこしづつ進化してきました。今では提携文章が多い会社や分量の少ない個人ユーザーではほとんど変わりないです。
しかしここぞというヘビーユーザーはATOKです。これは間違いない。日本人が作った純国産の会社の日本語入力システムFEP!有数の国語辞書や英語辞書、広辞苑、類語辞典などハンドルするソフトもあり、これさえあれば素人でも小説家になれますよ。

ここまで言い切ってる自分でも実は両刀遣いですε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

両刀遣いはだめです。時間の無駄です。機能や辞書変換に微妙な違いがあり、究極の情報整理を目指すならここは一本に絞り使いこなすことです。スピード重視で辞書変換効率の優位性、辞書類のFEPハンドルからATOK一本に絞りこむのが効率がとてもいいことになります。まあよけいですがいくら世の中がグローバルスタンダードになろうが日本語というのは日本人固有の財産であるのでそれを開発している数少ない純国産メーカーである(株)ジャストシステムを潰すべきではありません。一度はつぶれかけましたが。

ということで私も自分が使うクライアントはATOK一本に絞っていこうと思います。

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究極の情報整理1(ハードウエア編)

ちょっと考えたあげく、上記のタイトルにしました。
まず何にしても形から という自分流のスタイルに準じてハードウエアの選別から

①64ビット+SSDマシンのノートパソコンをベースとする。

まだまだ64ビットマシンはデバイスの問題から使いづらい点もありますが、情報整理分野(テキストベース)のアプリに限れば結構エリア内に入ってますし、処理速度の点を最大限生かせるからです。そして処理速度が最も早い記憶媒体を使う。本当は高性能CPUを追求した方がいいわけですけどコストパフォーマンスを考えると現在もっとも汎用性のある価格帯のcore2 ベースの上記仕様が大変優れています。SSDは書き込み制限があるのでOSのブート専用にしてデータ類はUSB等の外部ストレージにした方が無難でしょう。

②絶対標準キーピッチ

ノートにしたのはモバイル性を考慮してのことですがいまはやりのネットブックやminiタイプはだめです。キーボードのキーピッチが狭いとタイピング速度に非常にハンディをともないます。やはり標準の19mmはほしい。大型ノートではすこし重すぎるし、用途を限った使い方をすれば中ぐらいの大きさの13インチ程度のノートが最適でしょう。

③外部ストレージは使い分け

USBフラッシュメモリーが軽量で大容量化してますが耐久性の不安があるのでデータファイルの内容によって外部ポータブルHDDなどと併用、使い分けする必要があります。
USBも絶対、高速型でないといけません。要するにターボUSB仕様だったり複数チップ内蔵等でないと大変です。十分気をつけてください。大容量で安価なものは大抵遅いタイプです。ギガクラスのファイルを転送するのに天と地ほどの速度差が実感できます。仕事になりません。

④マウスは有線のレーザータイプ

今現在最高のパフォーマンスを発揮しているタイプです。無線はだめです。bluetoothにしたって所詮有線にかなうわけありません。そりゃあいままでいろんなタイプを買って使ってみました。ワイヤーの煩わしさから解放するため無線タイプを何度となくそして様々なメーカーも試しましたが結局ワイヤーに戻しました。ヘビーユーザーはほんの0コンマ秒の差が多大なストレスを生じますね。無線は多少なりともOSのソースを使っているので長時間使ってると場合によっては1秒とか2秒とか止まることもよくあります。それからOSのメンテなどするときは使えないんじゃないかな。BIOSで認識してんのかな。ちょっと定かではないですけど。
レーザーは間違いなく下地に関係なく詳細に反応するので光学よりパフォーマンス高いですね。

                                                              つづく

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こどもを本好きにするには3

環境を整えてやるということまで述べたと思いますが続きです。あまりにも直接的に強いるのはよくないと言いましたが間接的に強いるということをしなければなかなか現在の日常生活において組み込んでいくのが困難かと思います。
まずは
①毎日決まった時間で読書をさせる。それも必ず朗読して親が聴いてやる。最初は10分からでもいいし慣れてきたら少しずつ増やしていってもいいともいます。
②本屋によく連れて行ってやる。
③本をいっぱい買ってきてやる。(古本屋さんにいくと激安でいっぱい買えます(^^;))
④プレゼントの代わりに図書カードをあげる。
⑤マンガ本も選別したものを息抜きに読ませてあげる。マンガ本は全ていいとは思いませんが、ゲームをして過ごすなら比較論で圧倒的にまだましです。能動的に活字を読まなければならないので活字に慣れ親しむことができます。
⑥読み書かせもしてやる
⑦これが一番大事なこととおもいますが
 本を読んだ後で読書感を聞いたり、本の内容を問うてみたり、ちゃんとした読書感想文を書かせたりしないほうがいいです。これはさくまゆみこさんの著書に書いてありました。そうさせると精神的負担を強いられ読書が勉強になってしまい好きになれないといいます。これをやると文頭に申しましたように直接的な強制になりすぎます。
あくまで間接的に半強制(強制させてるのを気づかれないように)させる環境作りがベストです。

先日のブログで紹介した複数の書籍のうち、さくまゆみこや多湖輝の本が読書を趣味としての関わり方を力説しているのに対し、水島 醉や和田秀樹の本は受験が前提のようなとらえ方をしてます。幼児や小学生なら間違いなく前者の関わり方の方がいいです。

ただ国語を将来の受験があまりにも頭にあると、先に述べたように読書感をきいたり感想文を書かせたり、国語の問題集を解かせたりするようになります。それがかえって遠回りをさせることでしょう。
特に国語の問題集(長文切り抜き問題)をいくらやっても読解力はつかない。無駄であると水島 醉氏が主張していることには全く持って真実でしょう。このことを肝に銘じて 力を入れすぎれば遠ざかり、気を抜けば近づいてくるといった国語というとらえどころのない学問に取り組んでいきたいです。

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今年の挨拶があとになりましたが

いまさらですが

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
よく見たら一ヶ月ぶりの更新ですね。本も何冊か読んでましたがなんせ年末は超多忙でしたので暇がありませんでした。いかに更新できるかも課題にしておきます。しょこたんみたいに行けばいいんですけどね。

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2010年は私的ITレボリューションの年になりそう

いまさらIT革命って言葉は古い?いや古くはありません。このとどまることを知らない半導体の発達とともにまだホンの序の口かもしれませんね。私的にいままでやろうやろうと思っていたことを実行に移せなかったり、しなければいけないことも、いつかはいつかはでついつい後回しになりずるずると今まできてしまいました。

それを今年こそは実行に移そうと重い腰を上げる気になったのです。ブログにしたってそうですね。5年以上前からブログを立ち上げてはやめ、立ち上げてはやめてました。徒然草を立ち上げてやっともうすぐ一年がたちそうです。(更新は超すくないですが) 身の回りの情報整理も10年以上前からこうしないといけないと思いつつ、それをせずに現在まで至ってます。

っていうわけで年末は大掃除で明け暮れました。普通なら部屋を片付けたり、庭掃除などするのですが今年は違いました。HDDハードディスクの中身の大掃除です。もういいかげんに堪忍袋の緒が切れる直前でした。自宅のパソコン、病院のパソコン そしてノートパソコン、USBメモリや外部HDDなどあらゆるところにファイルが散らばっておりしかも同じファイルがごろごろあったり、どれが最新のファイルかもわからなくなってきてました。そこで重複したファイルは削除したり、カテゴリー分けして格納したり・・・  

なぜ情報整理をしないといけないかというと最大の理由は時間の無駄を省くためです。必要な情報を取り出す時間が無駄なのです。例えば必要なファイルをパソコン内から探し出す時間、必要な書類を本棚等から探し出すさらにその中身を見つける時間。全て無駄ですね。一昔前までは百科事典の数十冊から目的の言葉を探し出すために膨大な時間をかけてましたね。広辞苑に至ってもそうです。下手すると1分ぐらいかかってませんでした?一つの言葉を調べるのに。今は電子辞書なのでどんな言葉も1秒です。たった数年で1/60に短縮です。100メートル競走の陸上も何十年たってもせいぜい0コンマ何秒しか短縮しないし(まあたとえが悪いね)

人に与えれた時間は一日たったの24時間なのです。これを有意義に有効に使わないともったいないでしょう。だれもが自分のやりたい事っていっぱいあるでしょうからそれを実行するのに無駄な時間が大抵付随してくる。その無駄の時間を圧縮すればさらにやりたいことができる。ってことです。

っていうことで2010年は情報整理をはじめいままで頭の中だけでプランやシステム構築をしてきたものを実際に行動に起こしていくと同時に本ブログでも公開しようとおもってます。

PS
ブログのタイトルを変えてみました。(なんかのパクリですけど(^^;))

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クラウド4 ツイッター入門

いまはやりのツイッターです。最初は文字制限のあるテキストのみの投稿に何がおもしろみがあるのだろうと思いましたがそれも杞憂でした。このスピーディでシンプルなシステムの奥深さを感じます。企業が使う上でメルマガみたいに個人情報を取得する必要がないのでユーザーにしてはアクセスしやすいと思いますね。
ひさびさ近年の新しいツールの出現と言っていいでしょう。数年前にでたブログの出現と同じような感動を覚えます。
ツイッター本は数々ありますけど概要をとてもわかりやすく解説しているのがこの一品です。


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4時間半熟睡法


今回のおすすめの書籍

4時間半熟睡法

サブタイトルがいいねえ。
ハーバード大学も注目、世界一の「睡眠の専門医」が教える!   遠藤拓郎著

今まで睡眠に関していろんなメディアや噂やら情報が混乱していると思います。これは誰でも知ってるし、自分の周りの人も同じく認知しているのだけれども情報源があやふやでいまいち信用性に欠ける事柄ってないでしょうか。みんなが周知してることでも実は根拠が無く根も葉もない風説っていろいろありますよね。まずそういうことは情報源を明確にすることが風説に惑わされない第一歩だと思います。しかし情報源は時がたつにつれ忘れてしまいます。特に筆頭メディアであるTVなどで聞いたことはいちいちメモしてるわけではないしどういう番組でやってただけではすぐ忘れてしまいます。メモするならその番組の誰が言ってたかメモしておく必要があるでしょう。結局どういう情報源であろうと自分の頭の中だけで処理すると結局、日がたつにつれて忘れてしまいます。

そういうことでこの本を買いました。正直言って相当迷いました。
なぜかって。内容本文が極めて簡素に(一般素人にわかりやすく)記述されているのはいいけれど紙面も上下左右余白も十分にあり行間もたっぷりとってあり文章の分量に物足りなさを感じたからです。なんで分量に物足りなさを感じる本の購入をためらうかというと、立ち読みすれば30分で終わりそうだったからです。(*^m^)しかし前述の通り立ち読みで終わっていたらいつものとおり、いつまでたってもこの手の情報はあやふやで根拠が不透明になり、不透明になるから実行もしないとおもいます。情報源を自分の手元に置いとけば何十年たっても確固たるものになり、また新たな対立する情報が出てきた場合にも整然と整理することができます。

内容はすごく簡潔だけれども、これは何十年も専門を研究され、それこそ何千ページや何万ページか文献や論文を読破されさらに実験等をくわえ実証された結果がそうなのであり、極めて内容の濃い本です。

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クラウド3

Web2.0時代に入ってからもどんどん進化していきます。2.0、2.0ってもやもやして明確に理解できてない人に言えば、簡単に言ってしまえばASP(アプリケーションサービスプロバイダ)の充実やブログやSNSに代表されるように個々人が自由に情報発信できるようになった。商売で言うとアフィリエートであったりネットショッピングであったり。いままで情報発信するのは一部の会社だけだったり専門知識をもつ個人でしかなかったのですがそれが個人でネットビジネスができるようになった。
こういうことです。これは明らかにIT二次革命といってもさしつかえありません。

そして最近クラウドコンピューティングと呼ばれるようになりました。たしかに的を得ている言葉です。いつも誰が命名しているんでしょうね。Web3.0とは言わずにクラウドです。たしかに流れが変わりました。
端的に言えばGoogle そのものです。こんな超短いで説明でこんなにわかりやすい説明がありましょうか。googleにどっぷりつかればあなたはもうすでにクラウディングしてます。っていうかブラウザメールであるGmailだけでもりっぱなクラウドです。いままで長い間、ビルゲーツの牙城を誰がうちくずすのか楽しみにしていたのですがgoogleだとは。いやいや大変失礼しました。まだ牙城は崩していません。しかしマイクロソフトの牙城を打ち崩す可能性のある会社はgoogleの何者でもない。ほとんどの人がそう信じているに違いありません。私は別にビルゲーツが嫌いなわけではありません。MSーDosユーザーからの生粋のWindowsユーザーですからね。コスト高の不満など多少ありましたが。世界の富豪一位にビルゲーツの名前があがるたびにこの独壇場の世界は永遠につづくのか、ライバルがでてくるのかなといろんな空想をしてました。
ちょっと前までは同じOSのリナックスベンダ群が将来MSに取って代わるに違いないと信じていましたがなかなか浮上してきません。やはりOSの開発って超むずかしいんだろうなと思います。まあアップルもUNIXにかわりましたが。

googleは最近アンドロイド(携帯用OS)が出て話題になりましたが、そのうちPC用OSを出せば(OS事業参入発表済み)もうすでに射程距離に入るでしょう。そうすれば意外と早くかたがつくかもしれません。結構わくわくしますね。何度も言うように別にアンチMSではないんですけど個人的に「現在の強者が崩れるとき」って何が原因でそうなるのか非常に興味がわくわけです。例えばローマ帝国が滅びるときや超大国モンゴルがなんで崩壊したのかとかソ連が崩壊したときとか、最近の話ではGMがあっというまに落ちてしまったことや。GMに関して昔っからなんでこんなポンコツが売れるんだろう?とかなんでつぶれないんだろうと思ってましたが落ちるときは早いね。やっぱり国にしても会社にしても強者のちょっとしたおごりが原因なのであろうか。

話はそれましたがクラウドの利点と言えば自分のPCの管理の簡略化があげれると思います。これが筆頭の理由でしょうね。
PCの管理って非常に煩雑なんです。 リストアやバックアップなど結構専門的な知識もいりますし時間もかかります。わたしも十数台のクライアントを持って自己管理してますが「いいかげんにせーよ」ってかんじですね。これだけで一日つぶしたりもします。ところがアプリもデータもクラウディングするといわばインターネット型LANみたいになるのでPCは完全クライアントとしての取り扱いになるわけです。そんほうが安全に管理されかつミラーリングやセキュリティ管理もしてるだろうからデータの保全性は極めて高くなります。
しかし欠点もあります。個人情報を含む機密レベルの高いものをアップさせるリスクがあります。当分はレベルの低いものだけに限定した方がいいでしょうね。

次回予告
1 google
2 バックアップ
3 windwos7 近況報告


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イブカ理論の付け足し

幼少の頃のパターン認識。本書ではこう言い表しています。自らこれらを実践してみて驚くべきものがあります。まさしく幼児期限定の特殊能力ですね。まさに乾いたスポンジに水をしみこませていくような吸収力。記憶力。

本当にこれはまぎれもない事実です。しかしもう一つ隠された事実がありますね。本書ではこのことにはいっさいふれていませんので私自ら提起したいともいます。それは何かというと 「忘れやすい」ということです。大人の能力にはない記憶力を持ちながら大人にも劣る忘れやすさという二面性があります。たしかにフラッシュ記憶みたいなことをすればことわざの200個や300個、百人一首などどんどんおぼえますが1.2年のブランクをあけて試すとものも見事に忘れています。やはり記憶の定着というのは反復練習が必要なのかということでしょう。それだけではなく家族でいろんな行楽地に遊びにいったことも一切忘れていることがよくあります。

このことは斉藤孝の本でもそのような事例を見つけました。
自分の子供に幼少の頃、「怪人二十面相」(本のタイトルは定かではありません)を何回も読み聞かせしたそうです。すごい熱心に聞き入ってたそうです。あるとき小学生になったこどもは図書館から「怪人二十面相」を借りてきたそうです。どうしてそれを借りてきたのかと聞くと「一度読んでみたかった」と。齋藤先生は非常に嘆いたと言うことです。

右脳教育やフラッシュなどのイメージ記憶だけではなくもっと掘り下げた記憶のメカニズムを解明できれば日頃のお勉強が楽になるでしょうね。

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これは幼児教育のバイブルです2

この際つづけざまに前回の「幼稚園では遅すぎる」の続編です。「0歳からの母親作戦」です。ついでに井深氏が死去後、教育論のまとめを多湖輝氏が解説を交えて発行したのが「井深大の教育論」です。
「幼稚園では遅すぎる」→「0歳からの母親作戦」→「井深大の教育論」の順番に3冊を読んでいけばイブカ理論は完全に自分のものになります。
教育論の関係の本はとんでもなくいろいろありますし様々な主義主張があります。しかし物事は何かを軸足にして見つめ直さないといつも浮き足だって客観視しかできなく主体性が失われていってしまいます。例えば通常研究者が何か新しいことを研究、開発するにはまず仮説を立てます。そしてその仮説を実証、証明していく作業を行うのが通例です。このことからも何か物事を考えるにはまず軸となる考えがあって賛否をつけていかなければなりません。

よって教育論はイブカ理論を軸足に考えていくことを推奨します。

「もう専門家には任せられない」と今の教育崩壊を大変憂慮した井深氏の決意がみられます。解説にもあるように井深氏の日本人に対する遺書としてこれらの本はこころに刻みつけておく必要があります。


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これは幼児教育のバイブルです

「幼稚園では遅すぎる」 井深大(ソニー創業者)の紹介をしたいとおもいます。

これもずいぶん前に発行された本ですけど まさに幼児教育のバイブルですね。
サブタイトルが「人生は3歳までにつくられる」とあるようにいっけん よくある早期教育、いわゆる英才教育、お受験推奨みたいなイメージに受け取られがちですが全然違います。しかし第一印象からまたは読解力のない多くの読者から前述のような受け取られる方が多く議論を呼んだそうです。これはあとがきにも書いてあります。

これを読んだ後に、大学至上主義、学歴万能主義の観点から大学に入らなければならないから勉強するとか、一流会社に入るためには一流大学にはいらなければならないとか、そのためにもっと幼少のころから受験等を強いるとか単純にはしらないでください。ちゃんと最後までじっくり読むとそのようなことは決して肯定してません。
一部本文を抜粋 要約しますと

「目先の利益や狭い視野にとらわれて子供を教育したとき おそらく次の時代が要求する人間には育たないでしょう。 未来のビジョンを持たない母親に子供を教育する資格はないと私は考えています」
「毎日毎日の育児こそ本当の幼児教育です」

かなり手厳しい表現です。しかし厳しい現実社会を生き抜いてきた人こそ非常に重みのある言葉です。著者が学者や専門家でないがゆえに非常にわかりやすく極めて現実的です。学者のいうことは理論めいてばかりいて現実的でないことがよくあります。教育論だけは理想論を論じたってだめなんです。目の前にあるのは現実であり、現実の中を生きていかないといけないのだから。
あとがきにもあるように本書を著す気持ちになったきっかけはもとは「人間の能力や性格には遺伝的な要素が強いという説に疑問をかんじたことでした」とあります。

これはまさにそのとおりで私も以前からそう思ってます。最近の親はなんでもかんでも遺伝のせいにするのではないでしょうか。それは単に自分を否定されないがための防衛策だと思います。他人の家庭の子供の成績がいいのは親が頭いいからとか血統だとか、自分の子供の成績が悪いのは自分(親)が頭悪いからしょうがないとか。
頭のいい親の子が成績がいいのは幼少の頃から有益な働きかけや教育をしているからではないでしょうか。頭の悪い親の子供の成績がわるいのは幼少の頃からそういう働きかけをしてこなかったからではないでしょうか。

小中学校の時、「日頃勉強しないのに成績がいい人」「部活してないのにスポーツ万能な人」こういう人たちは頭がいいんだなとか素質があるんだなあと思ってました。今は違います。家で勉強しないでもいい成績がとれる人はしっかり授業中に集中している、つまり努力しているからです。思春期のころは授業中、空想や白昼夢に陥ってる人が多いいですから。(≧m≦)スポーツ万能な人は幼少から人一倍運動をしてきたからです。逆に成績の悪い人は頭が悪いのではなく努力をしてこなかったからです。今の授業中の内容がわからない、理解できないのは過去の授業の内容を忘れたか理解してなかったからです。勉強は系統的なので基礎を怠ればどんどんわからないことが雪だるま式に増えていきます。どこかで食い止めないと。

ちょっと能力の優れた人をみてエリートだの血統だの遺伝だのいうのは自分が努力をしてこなかったことを隠すための防衛本能です。心理学専門用語で自我の防衛ってやつです。本能見たいなものでしょうがないといえばしょうがないですが。

ここで ここぞという名言を紹介します。
天才は一%のインスピレーションと九十九%の発汗であるーーーエジソン
エジソンもそうですしイチローもそうですが自分を天才呼ばわりするのを嫌がってます。人の能力なんかみんな変わらないと、自分らは人一倍努力をしているんだを言ってます。

さてその努力をするには確固としたモチベーションが必要です。ひとそれぞれいろんな動機があるとおもいますし、何でもいいかとおもいます。お金持ちになりたいから努力する。こんなのでもいいんではないでしょうか。何も努力をしないひとよりは。ましてや努力をせずにお金持ちになりたいよりは100倍いいですね。


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クラウド2

インターネットの経緯を思い直してみると、クライアントの発達、PCハードとともにWindows95が出てきたあたりからネットの端末として使われ出したころから一般の人が容易にインターネットを使用するようになりました。しかしこの端末というよりOSはとても不安定でした。MSーDOSからの使用者からなら断然に違いがよく分かってたと思います。
フリーズなんて当たりまえ、しょっちゅう飛んでました。まあこれは8ビットから16ビットと進化を遂げて32ビットとの混在によるものが大きかったでのでしょう。平行して企業用OSとしてNT(こちらは完全32ビット)の開発、販売も行われていずれ統合する予定でした。Windows98、MEと進化しWindows2000(これは本当はNT系の後継)あたりから調子がよくなってきました。調子がよくなってきたというはOSが安定してきたということです。このころやっとPlug and Play、電源管理(ACPI)ができるようになりました。

今考えるとMS-DOSが極めて安定して飛ぶことは滅多になかったのにWindows2000が出るまでおもちゃみたいなもんでしたね。極めて重要な管理など任せられない状態でした。GUIやマルチタスクを追求するあまりフリーズの代償は大きかったですね。しかしこの時点からDoSに戻るわけにも行かず、かといってUNIXあるいはLINUXに変更するには障壁が高く、デバイスドライバも少ない。もうマイクロソフト様にいやビルゲイツ様に神頼みするしかないわけです。

そこでついに念願であるコンシューマ向けとビジネス系の統合、完全32ビットOS XPが登場したと言うことです。
極めて安定するようになりましたしアプリ間の競合も干渉しあうこともなくなりました。いまではそれが常識のように使ってもますけどつい最近まで常識ではなかったのです。

さて半導体の発達にともないクライアントの進化、OSの進化と同時にインターネットの出現、要するにネットワーク関連のプロトコルの進化をともなってきました。この時、だれもが歴史が変わる!と思ってたんではないでしょうか。全人類がインターネットを使いこなし利便性を確認しそして生活様式がかわる!と思ってた頂点がいわゆるネットバブルの頂点2000年ですね。だれもがそういう風に思っていたから投資が無制限に行われたということです。バブルの頂点とはネット関連の株価で表せられます。代表的なYahooの株価が一億円を突破しました。3年前の上場時が200万ですからすごい倍率ですよね。念のためいっときますけどこの時点ですでに株式分割何回かしてるので200万→1億円ではなく200万→4億円ぐらいになってたと思います。私も一株ぐらい買っときゃ今ごろこんなあくせく働かなくてもすんだになあ(≧ヘ≦) かなり余談がはずれてきましたが・・・

いわゆるIT革命と言われた時期もネットバブルの頂点の時期です。革命革命とメディアが騒ぎ立てるだけでなく個人もネットというツールを使用して実感として信じて疑わなかった時期です。いや実際IT革命は起きたのです。情報処理の分野だけでもメール等により地球の裏側や隅々まで瞬時に情報が行き渡るようになりました。しかもほとんど無料で膨大な情報量がほとんど同時に共有できる。しかもそれが全ての個々の人々が同時につながるということは90年にはだれもがそんなことは予測してなかったと思います。その頃のあるITベンチャーのシステムエンジニアさんが「明日の予測ができない」と言っていたのを鮮明に思い出します。第一線にいる人たちが明日の予測ができないほど技術革新が早く、情勢が日々移り変わっていたことを示します。

くどいですけどIT革命です。産業革命以上に革命です。革命とは急激に事が変わることをいいます。歴史年表をひもといてみると例えば縄文時代、縄文時代は約一万年つづきましたがほとんど生活様式は変わってません。せいぜい土器の種類が変わっただけ?やっと農耕社会の弥生時代を迎えますが600年つづきます。その間情報の伝達速度は何の進歩もありません。その後何とか時代とかいろんな時代を経てきて江戸時代まではせいぜい伝書鳩や飛脚ぐらいなもんなんでしょう。その後電気通信の時代に入っても、せいぜい特定の人だけの間でのやりとりで情報量はごくわずか(電話 通信など)、TV、ラジオなどの放送通信なんかは受信者は不特定多数ですけどもかなり限定されますし情報量もほんのわずか、しかも一方通行だし。
そこでインターネットは双方向通信で情報量はほぼ制限無く、しかもただ同然で(実際は端末やインフラ整備がいりますが)、距離に関係なく、ほぼ同時に、しかも地球上にいる人々不特定多数に発信できる。一人の個人が何十億の人々に発信できる。

どうですか 言葉つたない素人の私の説明だけでもIT革命だということがわかっていただけたでしょうか?しかもITバブルははじけたけれどもまだこの革命は進行中です。そう考えると人類の歴史上で革命のまっただなかに生きてる私たちはしあわせですね。100年後の歴史教科書には絶対、暗記項目になってますよ。2000年IT革命って。645年大化の改新、1192つくろう鎌倉時代・・・てなかんじで。

さてインターネットの出現によって使い方は変わってきました。当初の使い方でほとんどの人はこれで満足でしたが予想もしてなかったツールがでてきて進化していきます。
これがいわゆるWeb2.0と言われだしたころです。それ以前が第1世代で2.0が第2世代みたいなもんです。

独り言は今日もここまで。なかなかクラウドにはたどり着きません。タイトル別に変えりゃよかった・・・

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泣く泣く。涙がとまらない

ひさびさおすすめのビデオです。まあホントは最近ものの映画をご紹介するのがいいんですけど多忙で見る暇がないのでとりあえず過去もので大変、感銘を受けた!これは名作だ!これは死ぬまで絶対みなきゃだめ!っていうものをご紹介したいです。まあ映画というものは芸術性が高いので評価が多様だったり表現が過激だったりするので一様にすすめるものを選択するはむつかしいとおもますが、情操教育の観点から子供らにおすすめできる作品に絞りたいと思います。

今回はこれ
オールウェイズ 三丁目の夕日とその続編。まんが 三丁目の夕日の映画化ですがイメージがかなり変わります。

吉岡秀隆という俳優はなんでこんなおいしい役がもらえるんだろうといつも思います。吉岡が名優だからこんな名作ができるのか名作だから吉岡のところに転がり込んでくるのか。この人は子役の頃から泣かせっぱなしじゃないですか。どのくらいの国民を泣かせれば気が済むんでしょうね。

昭和のこの頃の人たちはいきいきしてますね。目的がしっかりあって何かに向かってしっかり生きている様は心動かされます。同時に現在の日本人は目的がなくふらふらとさまよいながら生きている感じを受けます。
いまではとっくに失われた他人同士のふれあい、絆は古き良き時代と蔑むだけでいいのか。本当に大事なものが失われているんではないか。
この作品には一つのテーマがあり、”他人をここまで愛せるのか”につきると思います。
特にゲームにいそしんでる小学生や携帯メールにいそしんでる中高生らに見てほしいですね。涙のひとつもこぼさないようでは日本は本当に沈んでしまうでしょう。


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クラウドの潮流1

IT革命と言われてもう10年がたちますね。でもインターネットが一般の人に使われ出したのが95年ぐらいからですから人類のインターネット歴15年といっていいでしょうね。この間の技術の進歩はすさまじいものがあります。インターネット技術の進化にともないパソコンの使い方も変化してきました。そもそも昔はパソコンはスタンドアローンが基本でした。今時の人が聞いたら「何それ!」だの「信じられない!」とか聞こえてきそうですがすこし昔話をしましょうか。
昔のパソコン と題して

1 マウスはありません。

当然です。昔のOSはMSーDOS時代。操作は全てCUI(コマンドラインユーザーインターフェース)なので必要ありません。関数コマンドの一つや二つおぼえないと稼働できない代物でした。よくMSベーシック(プログラム言語の一つ)をおぼえていたなあ。いまでこそGUI(グラフィックユーザーインターフェース)が当然のように使われてますがねえ。だから昔のCUIが一つの壁になっておいそれと素人が使える代物ではなかったですね。
当時マッキントッシュがいち早くGUIを取り入れあこがれの的でした。超高価で買えませんでした。

2 フロッピーってしってます?

ちょっと年のいってるひとなら知ってると思いますが。ちょっと前までのパソコンには形骸的にドライブがついてましたからね。しかし最近はついてません。量販店にも売ってません。ではしってると言う人の中で5インチフロッピーを知ってますか?普通フロッピーディスクといえば3.5インチのものを思い出すんではないでしょうか?もっと昔は5インチ(正確には5.25ですが)が主流でした。あのぺらぺらのやつです。3.5インチが出たときは衝撃的でした。しかも容量も2HDタイプで1.44MBと多くなったのです。いまでは1.44MBでは高解像度のデジカメで撮った写真一枚も入りません(◎´∀`)ノ
それから外部記憶媒体としてZIPだのMOだの進化するたびに驚きの連続でした。

3ハードディスクは無かった。

信じられないでしょう。HDDが無いのに何でパソコンが動くんや!って罵声を浴びさせられそうですが動いてたんです。べつにそれが当時は当然のことです。まずパソコンの電源をいれたあとbiosが起動しそのあとOSであるMS-DOSフロッピーを読み込ませその次にアプリのフロッピーを読み込ませるといった具合です。もちろん作業中はかたかたフロッピーを読み込ませながらまたは複数枚をぬきさしぬきさしして使用してました。ほんのわずかなRAMメモリーで動いてたんでしょうね。

4主流のソフトは一太郎とLotus 1-2-3

このふたつのソフトで独占してました。いまでこそワードエクセルですが、その当時ジャストシステムの一太郎が圧倒的なパフォーマンスとともにシェアを独占。Windows時代にはいってもしばらくはワードなんか足下にもおよびませんでした。表計算部門ではLotus 1-2-3(ロータス ワンツースリーといいます) そしてこれも純国産データベースシステム 桐 がデータベース部門のトップです。私はこのころから桐ユーザーです。まあ当時、アプリなんか数が知れてましたがこの三つのソフトが看板ソフトでしたね。まだグラフィック関連が処理できるようなCPUでなかったからですね。テキストが中心でした。

5マルチタスクではなかった

うそ~。ほんま? ほんとです。今はあまりにも常識の常識なのでこの言葉自体知らない人が多いんではないでしょうか。パソコンで音楽を聴きながら編集するとかネットで調べごとをして書類を作成するとか、アプリケーションソフトを複数同時に立ち上げて使い分けしたりデータを相互に共有したり・・・・・
人間って言うものは一度便利なものが身に染みつくと二度と戻れなくなる習性がありまたそれが無かった頃の時代を軽蔑しますね。これはCPUの能力向上にともないOSが進化したものであり昔はシングルタスク。一つのソフトを立ち上げたら他は何もできません。コピー&ペーストみたいなソフト間のデータ共有もできません。これでも不便は無かったから不思議です。

6プリンターの接続がめっちゃたいへんでした。

いまはプラグ&プレイという機能があってしかもだいたいあらゆるデバイスドライバがパソコン本体に入ってて接続するだけで問題なく起動しますよね。アプリのソフトにドライバを組み込んでコンフィグをみずから書き換えてやっと動くんです。ソースコードを書き換えるんです。ちょっとした知識がないと一日や二日ではつながりません。

まあ今簡単に思い出しただけでもこんなにあります。昔懐かしい言葉ばっかりです。
こうしてみると今ある便利な機能は一つ一つ数多くの有能なシステムエンジニアさんたちが築きあげてきたものなんだなと感心します。ある分野の一つをこうやって時代を追って振り返ってみると改めてとどまるところを知らない技術進歩に驚愕します。
さて95年ごろからインターネットが一般に普及されはじめ、とはいうものの当時はまだ回線が超細く、途中で止まったりダウンロードできないのが普通でした。むろんネット上のコンテンツもそう多くは無かったので特別に便利なものとは感じませんでした。インターネットの前はパソコン通信なるものがはやってました。電話回線でダイアルアップ接続して電子メールやチャットなどを行ってました。チャットはかなりおもしろかったです。いまみたいなグループとかカテゴリは分かれて無くただ知らない人と目的もない話をしていましたがかなり興奮して楽しんでました。ハム無線みたいな楽しみ方ですかね。どこか遠くのしらないひとに電波を流しキャッチした人とお互いの身の上話をして楽しむ。
それからインターネットの発達によってパソコン通信は廃れていってしましました。

はなしはクラウドの話ですよね。前置きが長くなっていつものとおり眠くなってきたので続きはまたいずれ。

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永平寺 宮崎奕保えきほ禅師 「座禅をすれば善き人となる」

最初に出会ったのはNHKスペシャルのTV番組です。のちにDVDが発売され、のちに単行本が発刊されました。
仏の道を垣間見るだけでなく、私たち俗世間との分厚い壁がくずれおちた感じです。あたたかい仏様がいつも見守ってくださる、そういう身近な仏様を感じ取ることができます。同時に人生において信念を貫く、努力する、我慢する、欲に埋もれないなど俗世間では忘れかけている大事なことを確認することができます。また人生をどのように生きるべきなのか考えさせられます。
宮崎奕保禅師のことばひとつひとつが非常に重みのある感慨深い言葉で語りかけてくるので心動かされるでしょう。そのなかのひとつをご紹介します。

学ぶということはまねをするというところからでておる。一日のまねをしたら一日のまねや。
それですんでしまったら二日まねしてそれであとまねせなんだらそれは二日のまね。ところが一生まねしとおったらまねがほんまもんや。

最初はやはりDVDの映像をみたほうがいいですね。臨場感あふれる迫力は本だけでは伝わらないものがあります。修学旅行等で永平寺に行ったことがある人が多いんではないでしょうか?あの雄大な自然の中にたたずむ永平寺が思い起こされます。

座禅というものを生活に取り入れることによって深みのある生活が送れるような気がしますね。


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この国のけじめ

藤原正彦です。1943年生まれです。66歳か~。失礼ですけど年の割には老けて見えます。そして主張が武士道など古くさいことをいうのでよけい年寄りに見えてしまいます。風貌もまた白髪のフヨフヨの髪の毛なのでどうみてもおじいちゃんしか見えません。しかししゃべるとなると機関銃のような次から次と言葉が散弾されます。しかもどれも断定的にずばずば言い切るのでとても説得力があります。
この一見古くさい主張を本当に見過ごしていいのでしょうか?
日本人のアイデンティティーを一気に捨ててしまい、グローバリズムの波の中に埋もれてしまっていいのでしょうか?
もういいかげんに祖国を愛する、祖国を守るということが単純に軍国主義だの封建主義だのと同一視するのはよしましょう。ってことでしょうね。話のいつも痛快でわかりやすいし感動的です。日頃疑問に思っていたことがあり誰も教えてくれなかったことを一気に答えてくれた感じです。


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こどもを本好きにするには2

こどもを本好きにするにはパート2です。
前回の紹介した本のおおよそ一致した意見としては”環境を整える”といったことでした。ごもっともです。つまり親が本を読んでる姿を見せることです。子は親の背を見て育つといいましょうか親の行動を観察しそれに興味を持ちます。親が野球をやってれば野球が好きになるしゴルフをやってればそれが好きになるし・・・。
しかし環境を変えるというのは本当に難しいことです。だって子供の起きてる時間には親も仕事や家事などでたいてい忙しいからです。子だくさんの家庭はほとんど無理でしょう。でもその中でも日曜日の何時間は読書の時間をつくり一緒に読んだり、図書館に運んだり、夕食時に本の内容の会話をしたりとか、一日15分でも読書の時間をつくり本を読ませたり一緒に読んだりいろいろ方法があります。

本好きにさせるということは勉強好きにさせると言うことに通じます。勉強も本も強いるのではなく好きにさせることが一番の得策です。なぜなら嫌いなものをいくら教えても頭に入らないし効率がとてもわるい。けど好きなものは自分自身で積極的に覚えようとするので親の労力も少なくなるしとても効率がよく時間の無駄にならない。
どっちにしても小学校と中学校と高校生活と12年間も毎日勉強をしなくてはならないんですよ。毎日いやいやいくより楽しくいったほうがいいにきまっている。人生無駄な時間を過ごさなくてすむのです。時間というものは極めて貴重です。

昔なら子供の前にぽんと一冊の本を置いとけばそのうち自分で手に取り読むようになるでしょう。しかし現在はテレビありーのゲームありーの、習い事ありーので一生本を開くことはないでしょう。だから親が積極的に環境の整備をする必要があります。

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こどもを本好きにするには

っと言った課題ですが、これは超難問かとおもいます。ましてや今時、本は読まなければならないと感じてる親はほんの少しなんでしょうね。その中で本は大事だと思ってるけどなかなか読んでくれない、強制すればするほど遠ざかってしまい、ただおもしろくないけれど親が強制するのでいやいや読んでるっていう状態だと意味が無いと思うんです。私も子供の頃、あまり本を読まなかったのでものすごく後悔してるんです。改めて読書の大事さ、国語の大事さをいやがおうに感じています。藤原正彦は数学者にして、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数」と言わしめているほどです。昨今、教育レベルの低下の問題にあいまって子供の本離れが深刻になってきています。映像メディアが発達してきているからです。水島醉氏がいうように民営TVは営利企業なので見たくない人にも引きつけるように制作してあるので一度つけるとなかな消しがたくなるのは事実です。そして時間のあるときはずるずる見てしまう。ちゃんと時間を決めて管理することが大事です。TVはほぼ30分単位で番組が変わるので比較的時間管理しやすいですが問題はTVゲームです。30分とか時間制限してもゲームの途中だとなかなか区切りが悪い。そして強引にゲームの途中で中断するとすごいストレスがかかり気持ちの切り替えがなかなか難しい。

こどもを本好きにするためには 何度も言うようにとても難しいです。その一番の方法は環境を変えることですがその環境を変えると言うこと自体が難しい。
このご時世でそれをさせるには相当ストイックな生活をしなければなりません。
それでこのタイトルを考えるため同じようなタイトルの本をご紹介します。どれもとても優れた内容です。これで何が大事なのか、単に表向きの行動に限らず人間の心理を理解し真実を受け入れるようにすれば自ずと道が開けるでしょう。

どの書籍も一字一句とても大事なことが書いてあるのでここではあまり紹介はしませんが一つだけ引用します。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない」

西洋のことわざで多湖輝(知る人ぞ知る超ロングセラーの頭の体操の著者です)の「本を読む子に育てよう」
の中にありました。この言葉が全てを物語ってます。

また本タイトルとは少しずれてるかもしれませんが水島醉氏の「進学塾不要論」はかなり衝撃的なタイトルにして内容もしかりです。
これは中学受験をさせるためにはどうするか のために読むのではなく、教育界の現状の把握、そして何をたよりに勉強させるか、なにが大事か本筋を一つ示してくれてると思うのです。とくに気の焦ってる教育ママやパパにはお勧めです。子供を崩壊しないためにも一読してほしいものです。中学受験させるさせないは問題ではないです。
おなじく最近よく「東大合格法」とか「東大のなんとか」とか東大生のなんとかといったぐあいの本がはやってますね。少し前にドラマや漫画ではやったドラゴン桜の影響かと思います。
こういった東大系の本は有用と思います。これも本の読み方ですがけっして東大に行かせるからよむのではなくてここからもっとも効率のよい勉強方法というものがありそれを学ぶ意味で有用です。全国民が認めているように東大は日本のトップの学校で国内で一番優秀な学生が集まってます。そういう学生たちがどうやって勉強してきたのか一読の価値があるとおもいます。

総じて学校の授業が大事ということです。


この世の中は自由経済主義が当然のように全ての国民が納得しているとおもいますがそれは自己責任が前提であることをわすれているのではないでしょうか?全て国民が自由、自由を追い求めるのは結構ですが自己責任がいつもつきまとう。具体的に言いますと
TVを見過ぎて目が悪くなろうと勉強の時間が無くなって授業がわかならくなろうが、睡眠時間がなくなり自律神経がおかしくなろうがTV局には一切責任はない。ものすごくおもしろいTVゲームにはまってやりすぎて勉強ができなくなったとか字が読めなくなったとか書けなくなっただけでなく、友達と貸し借りでトラブったり、ソフトがほしくて万引きしてつかまったとか、違法コピーをネットで流してつかまったとかあげくのはてにひきこもりやニートになっちゃったといっても ゲームメーカーは一切責任はありません。また例えばものすごくおいしいケーキを食べて虫歯になったとか糖尿病になったとかなってもケーキ屋さんには一切責任はありません。全て自己責任なのです。
自由とは恐ろしいものですね。ストイックまで制御しないと健康な体や生活を守ることができないのが現代です。

主題から少し離れたかもしれませんが環境を変える(多くは逆境)ということを最優先に考えることが大事と思います。これはどの本も共通した見解です。人間は目にするものを欲する(好きになる)という生理現象とういうか基本的心理現象と言いましょうかそれをうまくコントロールできれば最小の努力で目的を達成することができるでしょう。

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100マスは集中力のバロメーターです

100マスをやらしてある発見をしました。通常であれば同じ問題をすればするほどタイムが短くなるのですがタイムが前回より悪かったりばらばらなときがあります。原因は集中力にあると思います。今現在集中しているのか集中してないのか外見から判断することはなかなか難しいです。しかし100マスのタイムで今、この子が集中力を発揮しているのか発揮してないのか数値で判断することができます。そしてなぜこの子がいま集中してないのかを考えてみると
昼間、(特に日曜日など)遊びすぎてまだ楽しい余韻が残ってるとか、何時間か前に親にすごく怒られて泣いたとか、何かいつもと違う心の変動があったりします。こういう時は何を教えても頭に入っていかないので時間の無駄になりますから(もっと集中しろとか怒ったり、勉強量をふやしたりしないほうがいいです。)思い切って勉強をやめるとかそうでなければパズルをするとか、ゲームをするとか(決してDS等ではないです。)、いつもと違う知育教材を使って遊ぶとかしたほうがいいでしょう。

人間だれしもやる気のあるときと気が向かないときがあります。私もそうですが気が向かないときは勉強も仕事も全然やる気が起こりません。だらだらしていまうのです。しかし一度やる気が起こるとすさまじい集中力を持ってはかどります。そんなときは食事とか睡眠とか忘れてしまいます。

しかし子供にそんな集中力の波が大きいとあまりよくありません。なので規則正しい生活を根底に守らせる必要があります。規則正しい生活をすることにより決まった時間にお腹が減り、決まった時間に排泄をもよおすようにあり、決まった時間になると眠くなり、決まった時間に起きるようになります。そして決まった時間に勉強をすると自然に集中力を高めるようになります。
こうするとこによって体の健康によいとは言うまでもないのですが、まず時間の無駄が省けます。朝親が”起きろ!”と何度も言って完全に起こすのに何十分もかかったり、夜も寝かしつけるのに何十分もかかったり、”早くしなさい”と一日も何十回も目くじら立てて言う必要がありません。一日はたった24時間しかないので効率を考えて過ごさないともったいないですね。

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相対性量比論とは

何なんでしょう。この言葉は?なんだか聞いたことのある響きでなにやら厳かな理論かなと思わせます。ググってもなかなかヒットしません。当たり前です。私の造語です。訳の分からない造語を作ったり突然頭に浮かんだりして造るのが好きです。(*´v゚*)ゞ
解説しますと 情報を対比して分析するときに使います。例えばA氏が○という主張をします。B氏がA氏とはまるで反対の意見の×という主張をしたとします。一般の人は○が×か、正反対の意見なのでどちらか一つ、○でなければ×、×でなければ○とう見方をします。こういう論争を長々と繰り返します。それは終わりのないトンネルに迷い込んでいきます。表面的なロジックだけで物事を判断するとどちらかが正しくてどちらかが間違いという風な判断しか下せなくなります。でも実際は両方とも正しい主張であるということが多いです。
それはなぜかというと
一つに到達するゴールが違ったりそれに至るまでの過程の違いから生ずる差異です。
もう一つは物事には全てのものに利点と欠点が存在します。どちらか一方が100%というのは存在しません。それをただ散在する対象の大きさ(量的なもの)を考えないで掘り起こしたところで終わりのないスパイラルに陥るだけです。
先ほどの例でいうならばA氏の主張である○は利点が一個、欠点が一個存在します。B氏の主張である×も同じく利点が一個、欠点が一個存在します。それぞれA氏は利点だけを主張しB氏は○の欠点を主張してるだけです。反対にB氏は×の利点をA氏は×の欠点を主張してるだけです。
それではどうすればよいかというとその利点欠点を量的に考えればよいのです。○の利点は60% 欠点は40%(単位は%とは限りませんが)なのでそれぞれ利点欠点を対比した結果、A氏は○がよいという判断を下しているのです。こういう量的対比をとりいれればそれぞれこういう主張になります。
A氏:○の利点は60%だよ。
B氏:いいや違う40%だ。だから×を主張する。 というふうに。
第三者から見ればこれならすっきり理解ができると思います。A氏とB氏のけんかが。

この考え方は非常に重要で、この情報が錯乱している近代において情報を整理するという意味で量的に物事を判断する方法を習得していなくてはこの世の中は生きていけないでしょう。まず何が正しくて間違いなので判断できなくなり、主体性を失い、絶対ぶれてはいけない基本的な支柱までもゆらぐことになると 以前私が図示した知識の積み木に間違った積み木を置いてしまい、そしてその上にどんどん別な積み木を積み上げていくことになると自分では極めて論理的な主張をしてると誤解し間違いが見いだせずにいるのです。

なんだか抽象的な話になってしまいましたがこの次に具体的な例を挙げて説明しましょう。

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«こころ~夏目漱石~は名作でした。