人間失格 太宰治
最近、去年ぐらいから太宰治の映画よくやってますよね、生誕100年とかなんとかって。見てみたいのですがその前に一度書籍でもう一度読んでみようと思いました。もうすでに記憶が薄れてきてるので一度読んでから文豪の表現をじっくり堪能しながら連想しておき、自分のイメージと実際の映画でのイメージのギャップを楽しもうと思ってます。
そんでまずは人間失格。いきなりですが。いきなりというのはこの作品が太宰の集大成である、あるいはこの作品を書くために生まれてきたとか言われてますから。解説者の言葉によれば「この作品はある性格を持って生まれた人々の、弱き美しきかなしき純粋な魂を持った人々の永遠の代弁者であり、救いであるのだ」
ということは多くの人々がそれに当てはまることでしょう。
改めて太宰とはこんなにユーモアのセンスがあるのかと驚かされました。前半はおかしくて笑みがこぼれっぱなしでした。そしてこの巧みな表現に感嘆し、これが文豪って言われるゆえんかと思います。まさしく文学の魅惑の中にどっぷりつかって余興を楽しめました。そしてこれが日本語なんだ。漱石もそうですが、これが本当の日本語なんだなあとこの年になって改めて感じる次第です。そして個々の文学的趣向を超えた名作であると確認させられます。
常日頃は専門書や新書しか読まないので これら巧妙な文章表現に新鮮さと驚嘆を感じます。専門書は日本語だけれども算数みたいなもので味気ないし、新書に至っては2.3時間で読み終えるような平坦な文書だし。
この「人間失格」は始終、人間の本質を教えてくれと悲痛しながら落胆を繰り返し最後には自ら失格の烙印を押すのであるが、この作品の中に一つのテーマ、命題があります。それは「罪とは何だ」ということです。わずかな下りですがこの部分がこの物語の一番重要な部分で作者の一番言いたかったことではないでしょうか。無垢の信頼心は罪の源泉ということばを発しながら罪という混沌とした言葉をはっきりさせたい意図が見えてきます。
高校生の時、級友がこれを読んだ感想が「暗~い」って言ってたのを覚えてますが、そういう表現しかできないのは無理もないことだと思います。実際社会に出てもまれてはじめて感じ取れるものだと思います。まあ大人の小説であることには違いありませんが子供の頃からこれらすごみのある文体を触れることは大事だと思いますね。
私のように高校生の時の愛読書が星新一と多湖輝では国語のテストの点数がとれないわけですわ(T_T)


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